ウエルビーイングと健康経営における産業医の役割 ― 人的資本経営の時代に、いっしょに考えたいこと ―

ウエルビーイングと健康経営における産業医の役割
―人的資本経営の時代に、いっしょに考えたいこと ―

1. 「ウエルビーイング」が経営の話題になってきた理由

最近、「ウエルビーイング(Well-being)」という言葉を、ビジネスの場でもよく耳にするようになりました。これは単に「従業員の健康を守りましょう」という話だけではなく、企業が長く安定して成長していくために欠かせない視点として、注目が高まっています。

身体の健康、こころの健康、そして職場や社会とのつながり――こうした多面的な「健康」の状態が整っていると、仕事への意欲(エンゲージメント)や生産性が高まることが、さまざまな調査・研究で明らかになってきています。

厚生労働省は「健康経営」の推進において、従業員の健康保持・増進が企業の業績向上に深く関係することを示しています。健康への投資は、もはや「福利厚生の一環」ではなく、「経営戦略のひとつ」として位置づけられるようになってきたのです。

また、経済産業省が運営する「健康経営優良法人認定制度」においても、メンタルヘルス対策や産業医の関与が評価項目として明記されており、企業として積極的に取り組む意義がますます大きくなっています。

このような背景から、人事や総務に携わる方々にとっても、「産業医と何をどう進めていくか」を考えることが、これまで以上に重要になってきています。

 

2. 健康経営のベースにあるのは「法令遵守」

健康経営を進めていくにあたって、まず押さえておきたいのが「法令遵守(コンプライアンス)」です。きれいな言葉を並べる前に、まずは法律が定める義務をしっかり果たすことが土台になります。

日本では、労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)によって、企業にはさまざまな義務が課されています。主なものをご紹介します。

  • 常時50人以上の労働者を使用する事業場には、産業医の選任が義務づけられています(労働安全衛生法第13条)。
  • 従業員のストレス状態を確認するためのストレスチェック制度が、2015年(平成27年)より義務化されています(同法第66条の10)。
  • 時間外・休日労働が一定の基準を超えた労働者には、医師による面接指導を実施しなければなりません(同法第66条の8)。

これらは形だけ整えればよいものではなく、「労働者の健康障害を未然に防ぐ」という大切な目的があります。対応が遅れると、行政指導を受けたり、企業としてのリスクが大きくなる可能性もあります。

健康経営とは、こうした法令遵守を土台にしながら、さらにその先の「価値創造」に向けて踏み出す取り組みです。守るべきことを守りながら、プラスアルファの取り組みを重ねていくイメージです。

 

3. 産業医の役割「法令対応」から「頼れるパートナー」へ

産業医というと、「健康診断の結果を確認する人」「何かあったときに書類を書いてもらう人」というイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、産業医の役割は法律で定められた業務にとどまらず、組織の健康づくりを支える「頼れる専門家」としての側面がより重要になってきています。

(1)法律で定められた基本的な役割

労働安全衛生法に基づき、産業医が担う主な業務は以下のとおりです。

  • 健康診断の結果を確認し、就業上の配慮が必要かどうかを医学的に判断すること
  • 長時間労働をした方や、ストレスチェックで高ストレスと判定された方への面接指導
  • 職場の環境確認のための職場巡視(月1回以上の実施が原則)
  • 衛生委員会への出席と、専門的な立場からの助言

いずれも、「病気を未然に防ぐ・悪化させない」という目的のために、医学的な知見をいかす場面です。

(2)ウエルビーイング向上に向けたさらなる役割

メンタルヘルスのサポート

厚生労働省の「労働者の心の健康の保持増進のための指針」では、職場のメンタルヘルス対策として「一次予防(未然防止)」が特に重要とされています。問題が起きてから対処するのではなく、起きないよう働きかけることが大切です。

産業医は、ストレスチェックの集団分析を活用して職場の状態を可視化したり、ストレスが高まっている部署に改善のアドバイスをしたり、管理職の方が部下のサポートをしやすくなるための研修(ラインケア教育)をサポートしたりすることができます。こうした取り組みは、うつ病などの発症リスクを低減することが医学的にも示されています。

女性従業員の健康支援

働く女性が抱える健康課題として、月経に関連する症状や更年期障害などがあります。こうした体調の変化が、仕事のパフォーマンスに影響を与えることは、複数の研究によって示されています。

産業医には、こうした相談を受け止める体制づくりへの協力、就業上の配慮(柔軟な勤務形態や担当業務の調整など)に関する医学的判断、そして社内研修などを通じたヘルスリテラシーの向上支援ができます。これは「女性活躍推進法」の趣旨とも一致する取り組みです。

「出ているけれど、本調子でない」状態への対応

「プレゼンティーイズム」という言葉があります。出勤はしているけれど、体調や気持ちの問題で、本来の力が発揮できていない状態のことです。WHO(世界保健機関)などの研究によると、こうした状態による企業の損失は、欠勤による損失よりも大きいとも言われています。

産業医が関与することで、早めに医療機関への受診を促したり、一時的に業務量を調整したり、慢性的な病気のコントロールを支援したりすることが可能になります。これは結果として、会社全体のパフォーマンスの向上にもつながります。

 

4. 実際の場面での産業医活用ポイント

では、具体的にどのように産業医を活かしていけばよいのでしょうか。人事担当者の方に意識していただきたいポイントを3つご紹介します。

① 衛生委員会をもっと活きた場にする

衛生委員会は、月1回の開催が法令で定められており(労働安全衛生法第17条・第18条)、産業医も委員として参加します。「とりあえず開催している」という形式的な運用から一歩踏み出し、ストレスチェックの集団分析結果や健康診断データを題材にした議論の場として活用してみてください。改善策を立てて実行し、その効果を次回の委員会で確認する――こうしたPDCAのサイクルに産業医を積極的に巻き込んでいくことが、実質的な価値を生みます。

② ストレスチェックを「義務だから」で終わらせない

ストレスチェック制度は、単に「やりました」と報告するためのものではありません。集団分析の結果を見ることで、どの部署や職種でストレスが高まっているかが見えてきます。そこに手を打つことで、メンタルヘルスの不調を未然に防ぎ、離職を防ぐことにもつながります。産業医と一緒に分析結果を読み解き、職場改善のヒントとして活用していくことをおすすめします。

③ 産業医の意見を経営層にもつなぐ

産業医が現場レベルで把握している情報や意見は、経営判断に役立つ貴重な視点を含んでいます。「従業員の健康状態の傾向」「組織として取り組むべき課題」「投資対効果の見通し」といった内容を、経営会議の場でも報告・共有する仕組みをつくることで、健康経営は名実ともに「経営戦略」として機能するようになります。人的資本に関する情報開示が求められる時代にあって、産業医の視点は重要な情報源となります。

 

5. 健康経営が企業にもたらすもの

健康経営の効果については、公的機関や研究機関が多くのデータを示しています。

  • 健康施策に継続的に取り組んでいる企業では、従業員の生産性や仕事への意欲が高い傾向が見られます。
  • メンタルヘルス対策に取り組んでいる職場では、休職率・離職率が低下するケースが報告されています。
  • 健康への投資は、長期的に見るとプラスのリターン(ROI)が期待できるとされています(厚生労働省・経済産業省の報告書より)。

数字にすると冷たい印象になりますが、要は「働く人が元気でいられる職場は、組織としても強い」ということです。産業医と協力しながら職場の健康づくりを進めることは、「人を大切にする会社」という文化の醸成にもつながります。

 

6. 企業に期待される、これからの姿

これまでの役割

  • 労働者の安全を守るための法令対応
  • 病気になった従業員への対処(事後対応中心)

これからの役割

  • 健康データを活用した、予防・先手対応の文化づくり
  • 個人のウエルビーイングを起点にした、組織全体の活性化
  • 産業医・人事・経営が連携した、持続可能な健康経営の実践

産業医は、従業員一人ひとりの健康を支えるだけでなく、組織の生産性向上や経営リスクの低減にも貢献できる存在です。ぜひ「相談しやすいパートナー」として、気軽に声をかけていただければと思います。

 

まとめ -ウエルビーイングと健康経営は-「経営の本丸」

ウエルビーイングと健康経営は、一時的なブームではありません。法律・制度・エビデンスに支えられた、これからの企業経営に欠かせない視点です。

産業医は、その中心的な役割を担っています。法令に基づく健康管理という土台を守りながら、医学的な知見と組織への深い関与を通じて、皆さんの職場がより良い方向へ向かうお手伝いをしたいと思っています。

※本文書は労働安全衛生法等の関連法令に基づいて作成しています。

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